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翌日、別の来訪者が訪れる。
朝食を摂ってから二時ほど過ぎた頃、ハイエロファントは庭の草花の手入れに勤しんでいた。 水撒きをしようと、裏庭の井戸に向かうつもりで腰を上げる。 「おはよう！ エロファント！」 元気のいい、明るい声が響く。 彼が門の方を振り向くと、やけに大きな剣を収めている鞘を背負った少女が笑顔で立ってい た。 黄金の鮮やかな色彩の髪をポニーテイルに纏めて束ね、銀の表装加工を施した皮鎧を着用し ている。額の、小さな紅玉の装飾品が人目を惹く。そしてよく見ると、背中の剣は想像を超える 幅があり、尚且つ身の丈以上の長さを誇っていた。これほどの武器を扱うとなると、もはや力だ けではなく凄まじい水準の技術も必要となろう。 「やあ、ジャスティス。おはよう」 法王は、彼女の名前を口にする。 ジャスティスと呼ばれた少女は、真っ直ぐに彼の近くまで歩み寄ってきた。そして正対し、話し 始める。 「ねねね、ワールドから聞いたよ。今度デスと結婚するんだって？」 「うん。明後日、大聖堂でね」 ハイエロファントは、屈託のない声色で応答した。 その反応に、ジャスティスは少し難しい表情をする。 「どうしたの？」 彼が察知して、逆に訊き返す。 やや間があって、少女は短い溜め息を吐き、言いづらそうな籠った口調で質問した。 「・・・ねえエロファント、本気でデスと一緒になるつもり？ どういう経緯があったか判らないけ ど、彼女、死神だろ？ ボクは随分、デスと闘ってきた。首刈りをやめさせる為にね。でも、一向 に改心する様子はなかった。そんなデスとキミの結婚だろ？ 驚かない方がおかしいよ」 ジャスティスは『正義の戦士』の別名を持つ。強い正義感を抱く彼女は、自ら率先してマジカル ランドの治安維持に努めている。愛剣『ジャスティスソード』で、悪人に立ち向かってきたのだ。 そして彼女は、デスを“悪い奴”と断言する。 首刈りを行う悪人、と常日頃から言っていた。 そんな死神と法王が華燭の典を催す、となれば、この少女が黙っている筈がない。 ハイエロファントは、ふう、と息をついて、彼女を見詰めて優しさに溢れた声で語る。 「君はまだ、本当のデスを知らないんだよ」 「本当の？ どういうことなんだい？」 腑に落ちない様子で、ジャスティスが問う。 彼が笑顔を浮かべて、身体を少し家の方に向け、言葉を繋げた。 「時間、ある？ よかったら、話、聞いてもらいたいんだけど」 彼女は、大きく頷く。 「ボクは、そのつもりで来たんだ」 そして、法王の後に続いて建物の中に入る。 台所と居間を兼ねた部屋にジャスティスを招き入れたハイエロファントは、彼女を食卓に向か って座らせた。それから、湯を沸かして茶の準備をする。 やがて、部屋中に芳しい香りが漂い、椅子に落ち着いた彼の口から話が始まった。 「三ヶ月くらい前のことなんだけど・・・」 ハイエロファントは、デスとの出逢いから今までの出来事、その時思ったこと、考えたことなど をほとんど余すことなく語る。ただ、彼女の生い立ちと過去にあった凄惨な事件は口にするのを 避けた。本人の許可なしに話すことがはばかれる壮絶な出来事であり、簡単に言葉に出来な い重さを持つ内容だからだ。 法王が紡ぎ出す話は、小一時ほどかかった。 戦士の少女が三杯目のハーブティーを飲み干した頃、彼は静かに口を開く。 「以上が、僕とデスが結婚に至るまでの経緯なんだよ」 その言葉を耳にして、ジャスティスは深い溜め息を漏らす。未だに驚きの消えない表情を向け る。 「そうだったんだ・・・しかし驚いたなぁ。キミの方からプロポーズしたんだね」 「うん・・・彼女は、結婚までは考えてなかったからね。今回の結婚は、はっきり言って僕の我 儘だ。デスはそんな我儘を受け入れてくれた・・・本当にありがたくて、嬉しくて・・・感謝の気持 ちでいっぱいなんだよ」 噛み締めるような口調。 法王は目を閉じ、想いを確かめる。 その様子を暫く眺めていた少女が、スッ、と椅子から立ち上がった。 何事かと顔を上げるハイエロファントを見ながら、彼女は厳しさを含んだ声色で明瞭に言葉を 繋げる。 「キミの話は解った。けど、正直言ってまだ納得いかない。悪いけどデスに直に会わなきゃボ クの気持ちは治まりそうにないよ・・・彼女、いる？ 直接話がしたいんだ」 「書斎で寝てるよ」 彼が即答する。 途端、ジャスティスは何かが抜けたような顔になった。 「え？ 寝てる？ こんな時間に？」 上擦った声で、質問を返す。 ハイエロファントは微笑んで、それに答える。 「うん。彼女、昨晩はかなり夜遅くまで本を読んでたんだ。何でも、読み始めたら止まらなくな っちゃったんだって。今朝起こしに行ったら、珍しく寝起きが悪いんで訊いてみたら、そういうこと だったらしいよ」 彼の口から語られる事柄を、ジャスティスは、とても信じ難い、という表情で受け取っていた。 読書に夢中になっている死神。 想像だにしていなかった事実、である。 今まで頭にあったデスの映像は、常に殺気を身に纏った女性の姿だ。それが突然、夜中まで 本に齧り付いている彼女へと強引に入れ替わった。 余りの落差に、戦士の少女は茫然となる。 「何なら、起こしてこようか？」 その発言に、ハッ、と我に返り、ジャスティスは首を振る。 「い、いや、そこまでしてもらわなくてもいいよ」 そこで言葉を切り、彼女は一瞬眉を寄せた。そしてすぐに、彼に目線を投げて少し籠り気味の 声で口を開く。 「エロファント、改めて訊くけど・・・キミはデスと結婚する意志は堅いんだね？ 誰がどう言おう と曲げるつもりはないんだね？」 「うん。絶対に曲げないよ」 明言する。 両の瞳に、断固たる色を漲らせて。 少女はそれを目の当たりにして、ふう、と短く息を継ぐ。 見た目が柔和で、何に対しても落ち着いた態度を見せる彼であったが、いざという時の真摯で 揺るぎない行動と僅かも退かない強い心は、まさしく『法王』たる所以―――ジャスティスは、ハ イエロファントをそう位置付けていた。日頃からの会話やその行動を見てきた彼女は、法王へ の相当な高い評価を抱いていたのである。 そんな彼が、意志を曲げない、と言い切ったのだ。 つまり、自分にとってデスはそれだけ想える女性である、と。 嘆息混じりの調子で、少女は言葉を構築する。 「・・・悪いけど、起きるまで彼女の側で待たせてもらうよ。キミの気持ちに水を差すつもりじゃ ないけどさ、もしデスが首刈りをいつかまた始めるって考えてんだったら、ボクは許す訳にはい かないから・・・」 扉の方へと足を向けつつ、少女が鋭い眼差しを前に飛ばす。 「首刈りは、死神としての役目だったと思うよ」 訝し気に振り返るジャスティスに、ハイエロファントは透き通るような声で語り出す。 「前にも言ったと思うんだけど・・・僕は、デスの役目は本当に大変なものだと考えてる。この 世界の生命環の一端に位置するのが死神だよね。命は生まれて、育って、そして必ず死ぬ。そ れが古の大昔から続いていて、未来永劫へと繋がっていく。生命を誕生させるのが父なる神の 役目なら、それを終結させて転生へと導くのが死神の役目だからね。デスはそんな大変な役目 をずっと続けてきた。愚痴をこぼしたいことだってあったろうし、もしかしたら辞めたくなったことだ ってあったかも知れない・・・でも、彼女は黙って続けてきた。正直言うけど、『代わりに死神をや れ』って言われたらすごく悩むと思う。続けられる自信もないし・・・デスは、辛い“仕事”を泣き言 も口にしないでやってきたんだ。本当に、凄いと思う。僕はねジャスティス、彼女を心底尊敬して るんだよ」 「・・・尊敬・・・」 彼女が、呟く。 法王の紡ぐ言葉のすべては、驚異の浸透力を秘めていた。完全に乾き切った綿の塊が水面 に落ちたかの如く、少女の裡は急速にそれらを吸い込んだのである。 そして、ジャスティスの中心にある様々な感情を容赦なく揺さ振る。 不安定さが表面化してきた。 「と・・・とにかく、書斎で待たせてもらうから・・・」 脚を前に進めながらそう言い残し、彼女は何かに追い立てられるように食堂を後にした。 書斎の場所は、前にこの家に来たことがあるので認知している。玄関の広間を横切って、目 的の部屋の取っ手をゆっくりと引く。 呼吸を殺し、物音を立てないように。 中を覗き込むと、紫色の髪をした女性が長椅子に横になっていた。ジャスティスは慎重に後ろ 手で扉を閉め、足音を忍ばせて近付く。 彼女の歩みが、停まる。 ハッ、と息を飲んだ。 デスは、自分の腕を枕に安らかな寝息を立てている。ローブを着用していない姿を見るのは、 ジャスティスにとって初めてのことだ。呼吸に従って上下する肩の、白い肌は実に艶かしく、同じ 女性である彼女にも眩しく、且つ美しく感じられた。 そして何より、その穏やかな寝顔。 無垢で、可愛らしい。 微塵の懸念すら覚えていないであろう、完全に安心しきっているとしか思えない表情。 （ホントに・・・デスなの？） おのれの胸の高鳴りを、確認する。 少女は未だに、信じられない、といった感情を前面に表していた。自分が今まで見てきた死神 は一体何だったのだろうか―――そんな考えも生まれるほどの、余りにも意外なデスの寝姿で ある。 （いい顔して寝てるなぁ・・・） ジャスティスは更に接近し、彼女の寝ている長椅子と向かい合って、床に腰を下ろす。 そして膝を抱えて、じっ、とデスを見詰め始めた。 暫くは明確さを欠いた意識に、やがてある言葉の羅列が浮かび上がってくる。 ハイエロファントが語った話。 何度も何度もそれが、少女の気持ちの裡を縦横無尽に駆け巡り、その度に彼女自身は自問 自答を繰り返し続ける。 デスは、本当に悪人なのか。 首刈りを続けていたことは、生命の自然の流れからして止むを得ないことだったのか。 嬉々として大鎌を振るっていたのではなく、もしかしたら内面の苦痛を覚えながら行動し続け ていたというのか。 だとすれば。 壮大な命の輪を純粋に、また忠実にこなしてきた彼女を非難してきたことになる。 よく考えてみれば、自分はデスのことを詳しく知らない。『死神』という存在を初めて目にするま では、他人からの情報や知り合いの話題で認識するに留まっていたのだ。そしてデスと最初に 逢った時も、彼女が『死神』と知るや否や斬りかかっていったではないか。 問答無用とばかりに、ろくに会話もせずに。 それから、あることを思い出す。 （父さんが言ってたことって・・・このことだったのかな・・・） ジャスティスの父親も、戦士であった。マジカルランド王宮就きの衛兵であった父も、相当な正 義感に溢れる男性で、幼い頃からその背中を見て育った彼女にも、悪を許さない毅然とした精 神が備わったのは当然のことであろう。そしていつの間にか少女は、父親を最も尊敬する戦士 として生涯の目標に据えてきたのである。 ところが、その名戦士はある日突然に地位を失う。 ある者と一騎打ちを行った挙句、左腕と右脚に重度の障害を残してしまったのである。 その時を最後に、父親は戦士生命を絶たれた。誰もその現場を目撃した者がいなかったが、 とある衛兵仲間は、彼に重傷を負わせたのは死神、と証言したのだ。それを耳にした自分は激 しい怒りを覚えた記憶がある。そして何年もその気持ちを抱いたまま過ごし、二年前にデスと合 いまみえた瞬間に一気に噴き出させたのである。 だが―――父は、正当な闘いの上でのことだった、と口にしてきた。 おのれの未熟さが招いた結果だ、とも言っている。 それから血気に逸る娘に、軽はずみな行動は控えるように諭してきたのだった。 しかし、いくら敬愛する父親の言葉ではあっても、頑なに話を否定してきた。自分の家族に一 生残る傷を負わせたとされる輩を、どうして許せることが出来ようか。 でも。 ハイエロファントの語りを吸収した現在は、こう思える。 どうやら、父の発言は正しかったようだ 何の根拠も裏付けもなく、ひたすら彼女を敵視してきた自分。 そして、ジャスティスは深く考える。 デスとなるべく会話をするようにしてきたのなら、もしかしたら早い内に真実が見えてきたので はないだろうか。そうしたのなら、一方的に剣を振るうことを止めることが出来たに違いない。 今となっては、彼女と闘い続けるしか道はないのか。 もう手遅れなのか。 更に、法王の少年が口にしたある仮定が追い討ちを掛ける。 もしも自分が、死神の役目を代わりに背負うことになったのなら。 他人からは畏れの視線を浴びせられ、誰とも交流することなく隔絶した孤独を生き、またおの れの如き敵意を剥き出しにした者に刃を向けられる毎日。 途端。 ジャスティスは、ゾクッ、と強烈な寒気を覚えた。 耐えられない。 余りにも恐ろしい、想像を絶する人生。 胸が、これ以上ないくらい締め上げられる。 焦点の合わない両眼を光から隠すように、戦士は顔を膝頭に埋めた。 だが、未だに落ち着かないこの心理状態にも、時間経過は容赦がない。 直後、長椅子の紅色の瞳が、スッ、と開かれる。 その視界に、彼女が闘いを繰り広げてきた少女の姿が、見事に捉えられた。 「なっ!?」 デスが、飛び起きる。 「わわッ！」 思いもよらなかった突然の声に、ジャスティスが短い驚嘆を発し、顔を上げて後方に跳ねるよ うに仰け反って目を見開いたまま凝固した。 死神は、それにほとんど間髪を入れない。 「お前！ 何でここにいる！」 素直な疑問を、少し荒っぽく口にする。 黄金色の髪の少女が言葉を放つ。 「びっくりしたぁ！ 何でいきなり起きるんだよ！」 「何を訳の解らんことを言ってるんだ！ それより質問に答えろ！ 何故お前がこの家にいる んだ、と訊いてるんだ！」 文字通り、夢にも思わなかった人物の登場に、デスは驚きと疑念を表した。つい、口調が厳し くなる。 それを耳にして、ジャスティスは、ふうう、と大きく長い溜め息を漏らし、長椅子に座る彼女をし っかりと見て台詞を繋げた。 「・・・実は、キミとエロファントの結婚の話を聞いてここに来たんだよ。今度の祝日だってね、 結婚式」 死神の女性は、据えた目線を投げている。 彼女にとって眼前の少女は、未だ一戦士でしかない。数多くの闘いを繰り広げてきた相手で あり、自分は敵意を注がれる対象のままである。 「・・・それでハイエロファントに、結婚をやめるように言いに来た、って訳か？」 デスは、憶測で発言した。 あくまでも、口調はきつい。 彼女の言葉は、この家に入るまでジャスティスの中に存在していた気持ちを具体化している。 確かに、戦士の裡の感情のひとつにそれがあったことは否めない。 しかし、今は違う。 「・・・そんなつもりはない・・・って言えばないんだけど・・・」 「・・・何を言ってるんだお前は？」 眉をひそめて、デスは怪訝そうな表情になった。 その後、ジャスティスはしっかりとした目線を彼女に投げ、僅かずつ落ち着きを取り戻している 心を確認しながら語る。 「エロファントから話を聞いたよ。結婚までいろいろあったんだってね・・・最初は正直、信じら れなかったけどさ、今なら本当のことだったって思えるよ。エロファントの言ったこと」 死神の女性の顔が、少しだけ弛む。 「当たり前だ。あいつは、嘘は言わない」 自信に溢れる声だ。 戦士の少女が、二、三度頷いた。 それから、じっ、と穴の開くくらい死神を見詰め、床に腰を下ろして膝を抱えた格好のままで、 まるで自分に言い聞かせるかの如き色合いの口調で考えを紡ぐ。 「それにしてもさ・・・デス・・・キミって、前と比べても何か、こう・・・変わったよ。うん、やっぱり 変わった。でなきゃこうして会話出来なかったような気がする。そうだよ、キミってば変わった よ」 その言葉に、デスは意外そうな表情になる。 死神の女性が変わった、と思うのは、周りの、以前の彼女を知っている人々すべてがそう感じ る筈だ。法王の男性と共に過ごすようになってから、確実な変化が存在している。デスの内面 に生まれた眩しいくらいの想いが、表に滲み出ているのであった。 それが、彼女の魅力のひとつになったのだ。 見る者に、言い知れぬほどの何かを与える。 既に、ジャスティスがそれを感じ取っていた。 しかしデスは、自分の変化はもちろん、それが人に影響を及ぼしているとは露ほどにも考えて いない。 「あたしが？ 馬鹿言うな。あたしは何も変わってなんかいない」 言い返した台詞に、少女の顔は転化する。 微かながらも、はっきりと判る笑み。 それは、彼女が初めてデスに向ける種類の表情であった。そのままの笑顔で、戦士は何の反 論の言葉もなく、ただ視線を注いでいるだけだ。 何故にこのような柔らかい感情を表すことが出来ているのか、恐らくは少女にも判断がついて はいまい。だが、まったくの躊躇も差し障りもなく、死神に対して微笑んでいられる。理由はいく つかあるだろうが、それらが複合的に絡み合っての結果であろうから、最終的な論理立てはか なり難しいものであろう。それでも、戦士はそんなおのれの裡での急転した変化を心地良く感じ ていたのだ。 彼女も変わったし、自分も変わった―――そうジャスティスは、思う。 「・・・今日のお前はどうかしてるぞ。おかしな話ばかりしてる。何か悪い物でも食って中ったの か？」 デスは、あくまで冷徹で突き放した調子で言う。 その台詞が、戦士の温まってきた気持ちに水を掛ける結果となってしまった。 「そんなの食べてないよ！ ボクがこんなこと言っちゃおかしいの？」 昨日までのようなつっけんどんな物言いで、少女は口を開く。 速攻で、死神が言葉を続ける。 「今まで剣を向けてきた奴が突然そんなことを言い出すのを、おかしいと思わない方がどうか してる。逆にお前に、あたしがそんなことを言い出したら妙だとは思わんのか？」 「・・・あのね、ボクだって少しはいろいろと考えたりするんだよ。それを揚げ足取って『悪い物 食べたか？』って言い方はないって思わないの？」 「揚げ足？ 馬鹿言っちゃいかん、そんな底の浅いやり方はしない」 「したじゃない！ 今！」 恐ろしく妙な雰囲気だった。 かつては会話が無に等しく、剣と大鎌でしか語り合わなかったふたりが、今は言い争いをして いる。互いの武器を言語に持ち替えての大立ち回りだ。 それも、論破とは程遠い口喧嘩。 デスが言い放つ。 「あれを揚げ足取りと言うのなら、これ以上の問答は無用だな。今まで通り闘うか？ であれ ば外に出ろ。ここではあたしは闘わない」 部屋の温度を数段階上げてしまうような状況から、先に戻ってきたのはジャスティスだった。 「・・・こんなこと言いにきたんじゃないんだよね。いけないな・・・ごめん、喧嘩するつもりはなか ったんだよ」 しかし、死神の瞳は未だに隔絶の色を投影したままだ。 直後に、少女は違う話をすることにした。 「ねねね、デス、ちょっと訊いていいかな？」 「・・・何だ？」 疑念の籠った声色で、死神は問い返す。 ジャスティスはしっかりと目線を据えて、微笑を顔に表した状態で質問を口にした。 「エロファントの何処が好きになったの？」 「なっ！・・・・」 問いの途端、面白いくらいの表情の激変が戦士の目の前で展開される。短い声を上げて絶句 したデスの顔に、見る見る赤みが差す。急速な勢いのそれは、まるで彼女を覆い尽くさんばかり に広がっていった。 目を丸く見開き、口許が覚束ない。何と返答して良いのか、彼女にはまったく見当がついてい ないのだろう。 今までのしかめっ面が何処かに消滅してしまったその赤面は、ジャスティスの裡に存在する感 情の核を強烈な衝撃で打ち殴った。死神が起きたすぐ後と同様に、身体を思い切り仰け反らせ て目をこれでもかというほどに見開く。 （えっ？ えっ？ 何、何？ デスってばメチャメチャ照れてるよぉ！） こちらの口許は動かない。顔を強張らせたままで、停止した。 更に、少女は鼓動を速める。 さながら彼方から全力疾走してきたかのようだ。 （やだ・・・ボク、ドキドキしてる・・・） 目の前で展開されたデスの仕草や表情が、戦士の脳裏へくっきりと焼き付き、その状態で内 側に吸い込まれていった。やがてそれは心の深層に沈んでいき、死神の印象を完全なまでに 入れ替えて固定する効果をも生み出すに至る。 その瞬間。 ジャスティスまでもが、頬を真っ赤に染めていく。 今まで見たことのない、驚嘆に値するデスの素顔。 少女の胸の高鳴りが、かつてないくらいに激しさを増す。 まるで―――恋に落ちたかの如く。 「・・・な・・・何でそんなに照れてるんだよ！ びっくりさせないでよ！」 自分の裡の荒れ具合を覆い隠すように、大声で戦士は言葉を叩き付ける。 死神も間髪を入れず、応戦した。 「うるさい！ お前こそ何でそんな質問をする！」 「ちょっと訊いてみたかっただけだよ！」 「関係ないだろ！ あたしがハイエロファントをどう想おうと！」 「興味あったんだよ！ キミがエロファントをどう見てるか！」 「お前に話す道理はない！ 勝手に予想でも何でもしていろ！」 部屋中に、再び異様な空気が漂う。 顔を朱に塗った女性ふたりが、感情を露出させて言い争っているからだ。 喧嘩を始める流れではなかったが、思わぬ理由付けで闘いが開始されてしまった。もう少しど ちらかが落ち着いているのなら、筋立てされた論議になったことだろう。しかし気持ちの土台が 安定してない以上、互いに衝突し合うのは止むを得ない。 そして今度も、戦士の方から冷静へと帰化していく。 「・・・そうだよね。やっぱり野暮だったね・・・キミたちふたりのことに口出すつもりはないんだけ どさ・・・」 俯いた少女の語りに、ふたりの赤面が漸く終息へと向かう。 長い、長い息を吐き、死神は肩を下ろした。 それほど間を置かずに、戦士が再度顔を上げる。 「でも・・・これだけは言わせてもらうよ」 視線を再び彼女に固定して、ジャスティスは明瞭な声で言い放った。 「必ず、エロファントとふたりで幸せになるんだよ！ じゃなきゃ承知しないからね！」 空間を震わした、その言葉。 死神は、驚きの表情で彼女を見詰める。 かつて敵視され続けてきた相手から、よもや叱咤を貰おうとは予想だにしなかったからだ。し かしそれは、自分の裡にある法王の姿をより明確に浮かび上がらせ、自覚を促す作用を及ぼ す。 デスの頬が、再び紅色に染まる。 そして目線を外して瞼を半分閉じ、言いづらそうな籠りを含む口調で返す。 「・・・お・・・お前に言われるまでもない・・・」 何とも、くすぐったい。 素直に礼を言えないのは、もどかしい限りであった。 直後から、沈黙が開始される。 ジャスティスにせよ、デスにせよ、互いにこれだけ会話したのは初めてのことだ。武器を交える 以外に何もしてこなかったふたりが、今漸く新しい関係へと第一歩を踏み出したばかりである。 つまり未だ、相手の心象を感じ合える間柄ではない。 よって、この時に双方はある感情で一致していた。 何を話していいのか判らない。 戦士も死神も、互いに視線を向けることなく、部屋の隅や書棚の一部を視界に映して動作を抑 制していた。一言も発さず、ただひたすら時間が過ぎるのを待っている。 その息苦しさに、救いの手が差し伸べられる。 部屋の扉が二回、軽やかに叩かれた。 ハッ、と気付いたふたりが同時に目をやる。扉がゆっくりと開き、ハイエロファントが書斎に入っ てきた。 途端、死神と戦士の表情が和らぎ、ホッ、と短い息を立て続けに漏らす。 「起きたね、デス。目覚めはどう？」 いつもの調子で、法王が声を掛ける。 彼女は、口許に軽い笑みを浮かべて答えた。 「まあ、悪くない。しかし、まさかこいつが来てるとは思わなかったがな」 ジャスティスがデスを見て、拗ねたように唇を尖らせて反論する。 「来たかったから来たんだよ。別にいいじゃない。あ、一応言っとくけど、ボクが無理矢理起こし たんじゃないからね。キミが自然に目覚めたんだからね」 「・・・そういうことにしといてやるか」 死神は、柔和な口調で言い返す。 先刻までのふたりだけのやり取りで、彼女の中にもジャスティスに対する新たなる感情が生ま れ出ていた。それは、今の砕けた話し方からも解る。 今の会話と雰囲気で、ハイエロファントはその事実を敏感に察知していた。安堵の笑みを、ふ たりに向ける。 「ところで、そろそろお昼なんだけど、ジャスティスもよかったらどう？ ここで食べてったら？」 彼の勧めに、戦士の少女はにこやかな笑顔で返事をする。 「ありがとう。でも今日のところはこれで帰るよ。家で食べる約束があるからね」 それから暫くの後、ジャスティスは帰宅の途につくことにした。 玄関の前で彼女は、ハイエロファントとデスの見送りを受ける。戸口に法王が立ち、その後方 に少し半身の状態で壁に寄り掛かっている死神の姿があった。 「明後日の結婚式、出席させてもらうからね。エロファントの晴れ姿、楽しみにしてるよ」 少女が、向き合って明瞭に言葉を繋げた。 彼は、頷いて礼を言う。 「ホントに今日はありがとう。また来てよ。いつでも歓迎するからね」 コクリ、と首を縦に振った戦士は、視線をデスの方に向ける。そして、何となく籠った鈍い調子 で口を動かした。 「・・・あのさ、デス・・・」 「何だ？」 一瞬の、躊躇の後。 「さっきの話、約束だからね！」 弾けるような言葉。 彼女の台詞に、死神は、ドキリ、として目を見開く。書斎での赤面が再び戻ってくる。 それを確認して、少女は鮮やかな足取りで踵を返す。 「じゃあ！」 幾分頬に紅を差したジャスティスの、はち切れそうな張りのある声が響く。 小走りに門の外に去っていく彼女を見詰め、ふたりは暫くその場に立っていた。 やがてハイエロファントが、自分の妻となる女性を振り返り、眼差しを寄せて質問をする。 「ねえ、“さっきの話”って何？」 デスは、彼の目線におのれのそれを絡めて、ふう、と息を継いだ。それから、顔の赤みを気に するようにゆっくりとした調べで言葉を紡ぐ。 「約束したつもりはないんだが・・・中で話してやるよ・・・」 法王は笑顔で応答し、扉に手を掛ける。やがて静かに、玄関が閉められた。 結婚の儀まで、あと二日。 |
