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翌日、ハイエロファントとデスは昼頃に街へ降りた。
少しの時間睡眠をとった後、街の中心に聳え立つ城に赴く。そこは、この世界―――マジカル ランドを統べる者の象徴であり、現在の女王、『女帝』エンプレスの居城なのだ。 エンプレスは、世界の政治に於ける中心人物であると同時に、マジカルランド大聖堂を総本山 とする宗教の上位に立つ『大司教』の肩書を持つ。ちなみにハイエロファントの役職である『法 王』は、彼女の上、頂点の権威の位置にある。 今回、その最高位の人物の結婚である。報告と、ある依頼をする為に、ふたりは城に来たの だ。 到着すると女帝は、にこやかに彼らを迎える。紺色の長髪に黄金色の縁取りの冠、薄紫の地 をやはり金の縁で構成した法衣を着ていた。笑顔の穏やかな、優しそうな女性である。 ふたりは来賓室に通されてから、結婚の報告をした。 「まあ・・・おめでとう。お祝いを申し上げます」 透明感のある声だ。 そして、デスの方に向き直って言う。 「それにしても・・・驚きました。以前お逢いした時とは随分と雰囲気が変わられましたね」 どうやら、かつての彼女と比較しているらしい。 「あたしは別に・・・」 死神は、少し不満気に呟く。 女帝はそれでも、にこやかな笑顔で言葉を繋いだ。 「何にしろ、ふたりとも幸せそうですわね。お互いに深く想い合っているのが、私にも解るよう です」 ハイエロファントとデスは、同時に赤くなる。心の底まで見抜かれたような、恥かしさを覚えた。 やや間を空けてから、法王が次の話を切り出す。 「つきましては、エンプレス様に婚姻の式次第を進めて頂きたく、お願いに上がったのです」 丁寧に依頼する。 引き続き笑みを浮かべたまま、エンプレスが答えた。 「解りました、お引き受けいたしましょう。ところで、式には幾人ほど呼ばれるおつもりです か？」 「呼ぶ、だと？」 突然、デスが話を割る。 「他の奴らも呼ぶっていうのか？ 冗談じゃない。見世物にでもするつもりか！」 言葉を荒げた。 彼女としては、ハイエロファントとふたりだけの挙式を頭に描いている。結婚を決めた当初は式 自体考えていなかったが、結局彼の希望に添うことにしたのだ。ただしそれは、人々に観てもら う為のものではない。儀式、としての意味を抱いていた。 よって大勢の前での挙式など、彼女の真意ではない。 「冗談でも、ましてや見世物でもありません。多くの人々に祝福され、新たなる門出を迎え る・・・喜ばしいことではありませんか？」 女帝は微笑を絶やさず、諭すように言う。 それでもデスは、大変不満そうな顔をする。 ハイエロファントが、そんな彼女を見詰めた後に、ゆっくりとした口調で語った。 「僕は、今までデスに希望を叶えてもらってきました。本当に様々な、小さなことから大きなこ とまで・・・この婚姻も、僕の願いを聞き届けてくれたお陰です。感謝も気持ちも、言葉では表し 尽くせないくらいです。だから、デスが嫌がることを行うのは、僕も不本意に思います。この結婚 式は、僕と彼女で、エンプレス様に祝福して頂ければ幸いです」 それを耳にした途端、死神の表情が一瞬にして和らぐ。 「ハイエロファント・・・」 喉の奥から突き上げる何かを感じ、デスは彼の名前を口にする。 法王の向ける目線と自分のそれが合い、絡む。 その様子を暫く見守った後、女帝が言葉を掛けようと唇を動かした。 直後。 何者かの気配がして、台詞が彼女たちの耳に届く。 「やはり、参列者を募った方がいいと思いますワ」 三人がほぼ同時に、扉の方を振り返る。 開け放たれたそこには、赤桃色の髪をした女性が立っていた。衣服は驚くべきことに、異様に 長い緑の一枚の布を身体に巻き付けただけの格好である。それ以外は、何も身に着けてはい ない。 優しそうな微笑みを湛えた、均整な顔立ちだ。しかし他の何人とも違ったところがある。額の中 心に、両眼とは別の目が備わっていた。それこそが、この女性を特異な存在たらしめるもの― ――マジカルランドを隅々まで見通すことが出来る『第三の目』であった。 「あら・・・ワールド、来てらしたのですね」 女帝が、彼女の名を呼ぶ。 ワールドは、別名を『天空の女神』と言う。この世界を守護する強大な魔力と、宙を自在に飛 べる能力を持つ。 女神は、足音も立てずに三人の近くまで寄ってきた。 「失礼ながら、話の経緯は拝見させて頂きましたワ。私が思うに、今回の結婚には出来るだけ 多くの方をお呼びするべきと考えます」 深遠な響きを保つ声だ。 デスが、立ち上がる。表情は険しく、怒りすら感じさせるものだ。明らかな不快感を表してい た。 「口を出すな。これはあたしとハイエロファントの結婚だ。あたしたちの好きにやらせろ」 敵意を剥き出しにした、きつい口調である。 それにも女神は顔色を変えることなく、彼女を見据えて静かに言葉を続けていく。 「あなた・・・彼との結婚に自信がないのですか？」 「何だと！」 腹の底から轟くような、怒声が上がる。 ワールドは、尚も語った。 「自信がないのであれば、参列者を拒否するのも頷けますワ。それとも何か後ろめたい気持ち でもおあり？ あなた・・・死神である自分が公の場で式を挙げることに、未だ抵抗を覚えてるの ですね？」 「・・・言わせておけば・・・この・・・」 死神の肩が、激怒の余り震えている。今すぐにでも大鎌を振り翳しそうな雰囲気だ。 「ワールド様！ 言葉が過ぎます！」 遂に、ハイエロファントが割って入る。 「いいえ、言わせて頂きますワ。デス・・・あなた、彼と結婚するのは自分の意志で決めたので しょう？ だったら、何を恥じることがあるのですか？ 後悔などしていないのでしょう？ ならば ふたりの結婚を多くの人に観てもらい、それを証明してごらんなさい」 言葉尻に、挑発の匂いが感じ取れた。 そして見事なまでに、デスはそれに乗ってしまう。 「・・・舐めたことぬかしやがって・・・そこまで言われて黙ってられるか！ いいだろう、何人で も呼べよ！ 例え何百、何千と集まろうとも構うものか！ そいつらの前で言ってやるよ・・・『あ たしとハイエロファントは夫婦になる』ってな！」 拳を握り締め、おのれの眼前に掲げて言い放つ。 ワールドは、実に満足そうに笑った。そして大きく息を継ぎ、一通り三人に目線を移してから話 す。 「では・・・私が連絡係を努めましょう。なるべく多くの人に声を掛けてみますワ。式はいつにし ます？」 「次の祝日、大聖堂は何の行事もありません。もし早くに執り行うのでしたら、その日でも結構 です」 エンプレスが、女神の問いに答える。 「七日後、ね。急げば何とかなりそうですワ。おふたりとも、それでよろしい？」 話が急激に展開した。 当の本人であるハイエロファントは、心の整理が未だについていない。ワールドが次々と提唱 する案に、それを吟味して考察する余裕が与えられていないのだ。 しかし、デスはもう止まらない。 「いいだろう。七日後だな」 あっさりと、了承する。 それを耳にした彼は、驚いて言葉を発した。 「デス！ いくら何でも早過ぎない？」 「あたしは構わない。こうなったら一日も早く、お前と式を挙げたい・・・こいつに言われたからじ ゃない。あたしの中にはそんな希望もあった、ってことだ。後はお前が了解すれば問題ない」 法王は、ふう、と溜め息をついた。 「・・・君が望むならそうしよう。一日も早く一緒になりたいのは、僕も同じだからね」 そう言うと、にっこりと満面の笑み。 ここに、式の日取りが決定した。 それまでの会話を取り纏める為に、エンプレスが落ち着いた口調で話し始める。 「では、ハイエロファントとデス、両人の婚姻の儀を、七日後の正午よりマジカルランド大聖堂 で執り行います。司祭は私、エンプレスが努めます。それまでに、ワールドは各方面への連絡 と、式への招待をお願いします。それからデス、あなたは前日にこちらに来て下さい。式の衣裳 合わせをいたしましょう」 「この格好じゃ駄目なのか？」 空かさず、死神が返す。今の彼女は、普段の革製の着衣だ。 その問いに、女帝は微笑みながら言葉を繋げる。 「儀式ですから、やはりそれなりの服装が望ましいと思いますよ。私が持っています祭礼用の 衣裳から選んでもらえれば結構です。あなたは幸い、私と背格好が似てらっしゃいます。きっと お気に召される服があると確信しています」 「・・・解った。前日だな」 大きく頷く。 傍らでやり取りを見ていたハイエロファントは、彼女が許諾した直後、祭礼用の服装を身に纏 ったデスの姿を頭に描く。 普段は見ることのない、艶やかな衣裳の少女。 それを、当日は目の当たりに出来る。 法王が、期待に胸を昂ぶらす。すると、自然と笑顔が浮かんできた。 「帰るか、ハイエロファント」 彼女の声に、ハッ、と我に返る。 「あ、うん。そうだね」 長椅子から腰を上げ、ふたりは扉へと足を向けた。そして途中で並んで立って振り返り、まず デスが口を開く。 「見ていろワールド、忘れることの出来ない結婚式にしてやる」 「楽しみにしてますワ」 間髪を入れずに、女神は言葉を発する。 続いてハイエロファントが、部屋の中央にいるふたりに言う。 「エンプレス様、ワールド様、よろしくお願いします。お力添え、感謝の念に絶えません。それで は、僕たちはこれで失礼します」 会釈をしてから、踵を返す。 そしてデスと肩を寄せ合い、城の廊下を戻っていった。 彼らが立ち去ってから後、女帝はワールドに向けて疑念の籠った声を投げる。 「ワールド・・・一体どういうつもりなんです？ 彼女を焚き付けるような言い方をして・・・確か あなたは、デスの首刈りに関して異論があった筈ですよね？ よく止めに行ってましたもの。あ なたが彼女のことを快く思わないのは自由ですが、折角の晴れの舞台に際してああいった物の 言い方は感心しませんね」 女神が振り向く。そして穏やかな笑みを口許に湛え、その問いに明答していった。 「あのふたりの結婚は、なるべく多くの人々に実際に観て頂かなければなりませんの。死神で あるデスと法王であるエロファントの結婚・・・誰が見ても相反する印象を受けるでしょうけど、こ れはこの世界に新たなる動きをもたらすと思いますワ」 「新たなる動き？」 エンプレスが、少し意外そうに言う。 ワールドは彼女と正対し、話を続けていく。 「私は未来が見通せる訳ではありませんが、そんな予感がするんです。そしてその『動き』と は・・・人為的な小さなものでなく、もっと大きな・・・」 一息ついて、明瞭な言葉を発した。 「歴史を変える動き、ですワ」 女帝は驚く。 想像すらしていなかった、彼女の語りである。 それからエンプレスの反応に満足したかのように、女神が笑みを浮かべながら言う。 「その瞬間に立ち会えるのを、私たちは幸せと思わなければなりませんワね」 直後、ワールドは視線を落とし、瞼を伏せ気味にして再度口を開く。 「あと・・・言ってませんでしたかしら？ 私はデスを嫌ったことなど一度もありませんよ。ただそ の行為に注意を促していただけですワ」 女帝を瞳に映して、囁くように言葉を漏らした。 「デスは・・・娘みたいなものですから・・・」 何かを懐かしむ、余韻を溜めた響き。 ハッ、とエンプレスは気付いた。すぐに、過去に彼女から聞いたことのある事実が脳裏に投影 され、それらが彼女の裡に蒼黒い陰を落とす。 「そうでしたね、ワールド・・・」 「だからこそ、この結婚に際して何もしない訳にはいかないのですワ。口を挟むのも正しいとは 言えませんが、デスがエロファントと共に旅立てる日を手助けしてあげたいのです・・・それこそ が、今回の私の役目だと考えますの」 女神は、暖かく優しい笑顔を女帝に向けた。 その翌日から、ワールドは実に精力的に飛び回った。 ふたりを知っているすべての人々に、次から次へと挙式の連絡と招待を伝達していく。その行 動は迅速に進み、式の五日前にはマジカルランドの民の八割が知り得ているという結果となっ た。 人々の反応は、ほとんど同じ。まず、若い法王の結婚で驚き、その相手が死神であるという事 実でひっくり返らんほどに仰天する。 ある者は、何度も聞き返す。 またある者は、突然素っ頓狂な声を上げる。 そしてある者は、全身を震わせて立ち尽くす。 少なくとも、歓迎はされていないようだった。 特に、ハイエロファントはこの世界の女性たちから絶大なる支持を受けていたから尚更だ。若 い女性の数多くが彼に想いを寄せ、思慕していたのである。法王に近しい女性の中にも、そう いった気持ちを抱く者がいた。彼女らは事の次第を聞くと、いずれも隠しようのない嫌悪感を表 す。中には嫉妬を全面に剥き出し、報告に来た女神を問い詰める輩も存在したのだ。 そんな形相を目の当たりにしても、ワールドは満々とした笑みを湛え、穏やかな口調で言う。 「式に来てごらんなさい。そんな考え、何処かに消し飛んでしまいますワ」 この言葉に触発されたのか、あるいは挑発されたのか、大抵の場合はこの段階で参列を承諾 する。 出席者は、鰻登りに増えていった。 一方、エンプレスは大聖堂の司教たちを説得している。 大聖堂側は、この婚儀に反対していた。この世界の秩序と慈悲の象徴である法王と、死への 誘い人である死神との結婚は、やはり許されるべきではない―――というのが、司教や司祭た ちの言い分である。ただひとりだけ婚姻承諾を唱えた枢機卿がいたが、数の論理とでも言うべ き不条理な力が働き、賛成意見は黙殺されようとまでしていたのだ。 女帝は何度も足を運び、彼らの理解を望んだ。しかし難航を極める。 事態が急変したのは、式の五日前に当の本人たちが挨拶の為に大聖堂を訪れた時であっ た。 その場に現れたハイエロファントとデスを視界に映した司教やシスターたちは、一様に驚きの 声を上げた。仲睦まじいふたりの雰囲気を見たからでもあるが、それ以上に彼らを感嘆させたも のがある。 デスの表情、そしてハイエロファントに向ける笑顔。 彼らが目にした、あるいは耳にした死神は、髑髏の面を被った姿―――つまり“仕事”中の姿 だけである。面を取った少女を見たことのある者は、この大聖堂の在籍者ではハイエロファン ト、及びエンプレスと彼女直属の司祭であるハイプリエステスの三人のみだったのだ。 つまり、ほとんどが初めてデスの素顔を見た。 とても死神とは思えない。正式に紹介されるまで、誰もが我が目を疑う。 しかし、それは事実だ。 それから、ふたりを交えての会話が暫く続いた。 展開の結果、一挙に流れは変わった。 大聖堂側は、遂に結婚を了承するに至る。エンプレスは大いに満足し、安心して挙式の準備 に執り掛かった。 結婚の儀まで、あと五日。 二日後、デスは洞窟へ戻った。 未だに放置してある衣類や、様々な身の周りの物を取りに帰ったのである。その日までに大 部分の持ち物はハイエロファントの自宅に持ち込んではいた。結婚話があるなしに拘わらず、 だ。それというのも、彼女は既に法王の側で過ごす時間が圧倒的割合を占めていたからであっ たし、洞窟に向かう時間が勿体ないと思っていたからでもあった。故に、今回の道行で持ってく る用具等はほとんど残ってなく、やや大きめの皮袋ひとつで事が足りた。 そして、彼の待つ家へと向かう。 夕焼けが美しい暮れに、彼女は到着した。玄関の扉を開けようと、取っ手を掴もうとする。 その途端。 「いい加減にしてくれないか！ エンペラー！」 中から、法王の大声が響く。彼の口から聞いたことがない、かなりの怒気を含んだものだ。 ビクリ、として思わず手を停める。 そして何事かと、耳をそばだてて様子を窺う。 「それ以上、彼女のことを悪く言うのはやめてくれないか。君がどういうつもりか知らないけど、 デスに対する侮辱を黙って聞いてる訳にはいかないよ・・・」 「ああら、だって事実でしょ？ あんな死神と結婚しようだなんて、エロファントちゃんどうかして るわよ。アタシの気持ち、判ってるくせに」 聞くだけで、何か表現のしようのない感覚が湧く口調と声色。 声の主は『皇帝』の名を持つエンペラーであった。彼はかつてエンプレス以上の地位に在職 し、政治の中心人物として君臨したことがある男性だ。 ところが、予てから自愛主義者であった彼は、おのれの容姿に於ける美貌を極端なまでに高 めようと必死になり、その自己追求の挙句の果てに感性と現状認識能力に異状を来した。そし て自己の性愛を、すべて同性に向けるようになったのである。更に、宮殿内や周辺で横暴な行 動が多発するようになり、自分の気に入らないことが僅かでもあると激怒して暴力を振るうまで に至った。何度忠告しても一向に改善の兆しがみられなかった為、最終的に大聖堂参事会とエ ンプレスの手によって『皇帝』の冠位を剥奪され、城を追放されたのだ。 失脚後は、単なる一般人扱いだった。しかし現在でも、彼は執念深く復権を狙っている、という 噂が実しやかに囁かれている。 そのエンペラーは、異常なまでにハイエロファントに固執している。今回の結婚で真っ先に異 議を唱えるであろうことは、周囲には予想出来た。 それを読めなかったのは、恐らく当の本人だけだ。 「気持ち？ 何の話だい？」 拍子抜けしたような顔で、彼が問う。 「んまあ、やだわ。あれだけアタックしてたのに、全然気付いてくれなかったの？ もう、ニブい んだから、エロファントちゃんたら」 扉の外でそれを耳にしたデスは、この立ち聞きが時間の無駄だと考えた。世迷い言しか並べ ていない発言を真面目に受けるだけ馬鹿馬鹿しい、とも結論付ける。 勢いよく扉を開けて、中に入っていく。 法王が彼女を目にした直後、驚いたような表情になる。 「あ・・・デス・・・」 彼が、おかえり、と言うよりも早く、エンペラーが振り返って死神を睨みつけた。 頬骨が出張った顔に、三白眼の吊り目、極度の曲線を描いた泥鰌髭を生やしていた。かなり 光沢が削げ落ちた黄金色の冠に同色の鎧を身に着け、やたら目立つ真っ赤なマントを羽織っ ている。全体的に均等とは言えない色彩感覚の装威だ。 「あンたね、エロファントちゃんをたぶらかそうっていう悪い小娘は・・・アタシ、許さないんだか ら！」 ハイエロファントは、キッ、と目線を投げ、元皇帝に言い放つ。 「僕は何を言われてもいい。だけど、デスを悪く言うのだけはやめてくれ！」 「エロファントちゃんは、なーんにも悪くないのよ。悪いのは、ぜーんぶあンたなの！ アタシの エロファントちゃんを返しなさいよ！ 何よ、死神の分際で・・・どうやって彼をたぶらかしたの よ！ 結婚しなきゃ殺す、とでも言ったのかしら？」 彼女は、並べられる罵倒の文句を顔色ひとつ変えずに聞いている。視線は真っ直ぐに、エンペ ラーを見据えたままだ。 逆に、法王は冷静でいられない。 「帰ってくれ！ エンペラー！」 大声で、怒鳴る。 「んまッ、ひどいわ、エロファントちゃん」 元皇帝は、彼の方を振り向いて呟く。悲しそうに目尻を下げ、目線を投げている。 しかし、こんな輩に同情など微塵も必要ない。 デスは黙って、ハイエロファントに近付いた。そしてすぐ前に立ち、間に割って入る。 「どきなさいよ！ この泥棒！」 エンペラーが、醜い感情を前面に押し出す。 死神は、まったく表情を変化させることがない。そして、眼前の男に対して言い始めた。 「・・・聞こえなかったのか？ 帰れ、とハイエロファントは言ったんだぞ」 低い、重圧すら感じさせる口調。 デスの両目が、スッ、と細長く切れる。 「あたしからも言ってやる・・・失せろ！」 殺意と同じ波動が、声に漲る。 途端。 エンペラーの顔が、一転して歪んだ。全身の血が瞬間的に引いていく感覚を味わっている。理 屈ではない、本能が感じ取ったものが彼の裡を支配したからだ。 それは、恐怖―――心臓を鷲掴みにする絶対的な意志。 今、目の前に立っているのは、紛れもなく『死神』。 その時のデスは、かつて彼女自身が纏っていた雰囲気を全身から放出していたのだ。 「何だ、まだ聞こえないのか？・・・ならば仕方ない。物理的に解らせるしかなさそうだな。覚悟 しろ」 それまで肩に掛けていた大鎌を、正面に構えた。 「お前の首なんざ、ゴミにもならんが・・・」 彼女の言葉に呼応するが如く、キラッ、と刃が光る。 遂に、突き上げる感覚が爆発した。 「あーッ！ 嫌ーッ！」 エンペラーは、恥も外聞もないほどの悲鳴を上げる。 そして蹴られた球のように、玄関を飛び出す。その勢いのまま、夜の帳が降り始めた森の中を 走って消えていった。 遠ざかっていく元皇帝の絶叫と足音を聞きながら、ふたりは暫くの間その場に佇む。 その沈黙を破ったのは、ハイエロファントが頭を垂れて口にした言葉だった。 「・・・デス、ごめんね・・・」 死神は、突然の台詞に軽い驚きを覚える。 「何でお前が謝るんだ？」 振り向き様に、疑問で満ちた声を放つ。 「だって・・・僕のせいであんなことまで言われてしまったんだよ。気分悪くしたよね？ 僕がも っとちゃんとしてれば、あんな酷いこと言わせなかったのに・・・」 痛みを感じている、切ない声色だ。元皇帝の発した言葉で、彼は自分のことのように傷付いて いる。 しかし、罵倒された本人は意外なくらいさっぱりとした表情だ。 「まったく・・・何言ってるんだ。あんな馬鹿気た話なんざ、いちいち聞いてたら身が持たんぞ」 まるで何事もなかったかのように、明るい口調で語る。 ハイエロファントはそれでも、弱りきった雰囲気を拭おうとはしない。性分故、と言ってしまえば それまでだが、今の彼は、デスに迷惑をかけたくない、という感情がしっかりと根を降ろしてい る。 彼女は、ふう、と息を継ぎ、言葉を繋げた。 「あたしは大丈夫だ。欠片も気にしちゃいない。あんな発言でひっくり返るほど、あたしの気持 ちはヤワじゃない。心配するな。大丈夫だ」 「デス・・・」 漸く、法王が顔を上げる。 それを確認してから、デスは言う。 「むしろ、お前があれだけ怒った姿を見るのは初めてなんで、それには驚いたな。でもあれ は・・・あたしの為に怒ってくれたんだよな・・・」 しみじみと、呟いた。 そして彼に視線を注ぎ込んで、口を開く。 「ありがとうな、ハイエロファント・・・」 絹で優しく撫でられるような、柔らかき彩りの言葉。 デスは、薄く頬を染めて目を細めた笑顔を見せる。 何という、明るい笑み。 法王の心が、張り裂けんばかりに高揚した。 もうそこには、先刻元皇帝の前に存在した殺気を湛えた姿はない。可愛い表情の少女が、自 分と向き合っている。ハイエロファントは、それまでおのれの中に巣食っていた暗闇が、瞬時に 吹き飛ばされるのを感じた。 悪口雑言、何を気に病むことがあろうか。 デスが微笑んでくれれば、言うことないではないか。 遂に、彼の表情に明るさが戻る。 湧き上がる、歓喜。 「デス・・・」 彼女の名前を口にして、目線を絡ませた。次から次へと流れ出てくる熱い気持ちに、自然と涙 腺が弛む。 ハイエロファントは、心底思う。 本当に、出逢えてよかった。 そしてふたりは、暫くの間身動ぎもせずに、互いの妻となる女性、夫となる男性を見詰めてい た。 結婚の儀まで、あと三日。 |
