その声の届く限り

キン、とした、冬特有の張り詰めたような空気が流れる。
雲ひとつ無い冬空には瞬く星の下、焚火がぱちぱちと爆ぜる。


そんな中、その場にいる二人の間には、どこかぎこちない雰囲気が流れていた。

それは、日頃この二人の間にはほとんど感じられないはずの、―緊張感。

「夏美…」

耳を擽る低い声に、夏美の身体がびくり、と震える。

ただ俯き、身体を堅くしたまま微動だにしない夏美を、後ろから優しく、しかし強い力で抱え込ん だまま、ギロロは耳元で囁き続ける。

「何故、こっちを向かない?」
「………」

俯いたままの夏美の頬に手を滑らせ、そっと、だが、有無を言わさず自分の方へ向ける。

「……!」

赤みを増す頬と、戸惑うように揺れる茶色の瞳を覗き込みながら、ギロロは甘く、低い声で囁 く。

「どうした、夏美?」
「ズルイ……」

射るように見据える漆黒の瞳から逃れようと視線を背けながら、夏美は消え入りそうな声で呟 いた。

「そんな声で、囁かないでよ……」
「何をだ?」

楽しげに囁きながら、夏美の頬をそっと撫でる。

「はっきり言わなきゃ、判らんぞ」
「……」

遊ばれている……

判ってはいても、翻弄されてしまう自分に苛立ちを感じながら、どうすることもできない。

「…大体、なんでギロロ、地球人スーツなんて着てるのよ…?」
「お前をこうして抱き締めるには都合がいいからな」

 いつもは夏美の腰までも無いぐらいのギロロだが、今は夏美より頭ひとつ分ぐらい高い。
 作り物でありながら、そうとは感じさせない温もりさえ感じさせる腕にすっぽりと包まれ、引き寄 せられている、というその感覚だけで、夏美の胸は高鳴り、頬の温度は上がっていく。

 (なんで…。なんでギロロってば、こういう時だけ強気なのよっ!?)

 心の中ではそう思っていても、どきどきと高鳴る胸は鎮まらず、ギロロにその鼓動の速さが伝 わってしまいそうで、ますます頬が熱くなる。

 いつもと逆の立場に、ギロロは夏美に気づかれないように、口端だけでくっ、と笑う。

 腕の中で挙動不審に陥りながら、どうしていいか判らなくなっている彼女は、いつもの強気は 影を潜め、初めて知った恋に戸惑う、いまだ幼い少女。
 可愛くて、愛らしくて、愛おしい。

 抱き締める腕の力を強め、身体ごとこちらを向かせると、額にひとつ口接けを落とす。

 「……!!」

 とたんに、ぼっ、と火が点いたように顔中真っ赤にした夏美の耳元に囁く。

 「可愛いぞ…夏美」
 「ぎ、ギロロ!」

 慌てふためく夏美にふっと笑って見せ、ぎゅっ、と抱き締めると、地球人スーツの胸に顔を埋 める形になった夏美の耳元に唇を寄せて、そっと囁く。

 「…愛している」
 「……///」

 抗うことなど許されない、低く、甘い囁きに操られるように、見開かれていた夏美の瞳がそっと 閉じる。

 その、柔らかく甘い唇に口接けを落としながら、ギロロは満足気な笑みを浮かべた。

 どうやら、今夜の攻防戦も、ギロロの圧倒的勝利に終わるようだった。



 「クルル曹長、何か用でありますか?」

 地下基地、クルルズ・ラボ。

 ぺたぺた、と足音を立ててやって来たケロロに、クルルは振り向かないまま声をかけた。

 「よぉ、隊長。面白ぇものが手に入ったぜ。くーっくっくっくっ」

 促され、メインモニターを見上げる。

 「なんだ、ギロロと夏美殿でありますか。これのどこが面白いのでありますか?」
 「まあ、見てなって」

 言われて見ているケロロの目が、やがてこれ以上無いと言うほど見開かれた。

 「え、え、え!?赤ダルマと夏美殿、いつの間にこんな関係に!?我輩、ちっとも知らなかった でありますよ!!」
 「つい1週間ほど前らしいなぁ。定時の観察をしてたらたまたま映ってたぜぇ」

 日中の二人の態度は、あまりにも今までと変わりが無いため、まったく気づいていなかった。

 とても信じられないほど甘い雰囲気の二人にすっかり毒気を抜かれてしまったケロロに、クル ルが陰気な笑い声とともに声をかけた。

 「くーっくっくっくっ。最近、先輩がヤケに自信たっぷりに見えてたのはこの所為かよ」

 モニターの中では相変わらず、ギロロが背中のカユくなるような甘い言葉を夏美に囁き続けて いる。

 本来、気配や殺気といったものに人一倍敏感なはずの彼にしては珍しく、覗き見されているこ とにまったく気づいていないらしい。
 もしも気づかれたとしたら、その瞬間にケロロもクルルも命は無いだろう。

 「あの赤ダルマ、こんな台詞吐けるのでありますか……」
 「キャラ違ぇよな。くーっくっくっくっ」

 しばし茫然とモニターを見上げていたケロロだったが、不意にその目が何か悪だくみをする時 のように細められた。
 同時に、目の間に線が入る。

 「クルル曹長」
 「何だぁ、隊長?」
 「これは、…使えるでありますよ」
 「くっ?」
 「ゲロゲロリ。これでポコペンは侵略できたも同然であります!」

 自信満々に右手の人差し指を前に突き出し、ケロロは悪の大幹部よろしく高笑いをして見せ た。


 その2日後のクルルズ・ラボ。

 「隊長。例の機械、できたぜぇ」
 「おお、早かったでありますな、クルル!」

 彼らの目の前には、何やら怪しげな機械が置かれていた。

 「『地球人洗脳電波発生装置(オレノコエデイッチマイナデバイス)』だぜぇ。
  この本体で洗脳電波を増幅させて、このスピーカーから流すと…」
 「ポコペン人はすべて洗脳されてしまうであります!ゲロゲロゲロ」

 愉快そうに笑い声を上げると、ケロロは早速クルルに命じた。

 「クルル曹長!まずは実験がてら、この武蔵市一帯を洗脳するであります!」
 「りょーかい。ぽちっと」


 「…え!?ギロロ!?」
 「夏美ちゃん?」

 放課後。

 小雪とともに帰宅途中だった夏美は、突然耳元に響いたその聞き慣れた声に、思わず足を止 めた。

 「どうかしたんですか?」

 訝しげに覗き込む小雪に、「え、あ、何でも無い!」と慌てて手を振る。

 (気のせい、よね…)

 そう思い、頭を振ったその瞬間。

 『お前だけだ…』

 (え!?)

 また、聞こえた。

 「あれ?今、ギロロさんの声しませんでしたか?」

 隣で小雪もきょろきょろと辺りを見回し、―そして、不意に厳しい顔つきになった。

 「夏美ちゃん!これは、何か不穏な気配を感じます!ごめんなさい、私、行きます!」
 「あ、小雪ちゃん!」

 夏美が止める間も無く、あっと言う間に忍者装束に姿を変えた小雪は、そのまま屋根伝いに 姿を消した。

 取り残された夏美は、しばし茫然と立ち尽くし、―そして、猛然と腹が立って来た。

 「今の、…絶対、ギロロよね」

 どうして!?
 なんで、あんな……―あんな声がするわけ!?

 ふと気づいて周りを見回すと、やはり何かに気づいたように立ち止まり、顔を赤らめながら辺り をきょろきょろと眺め回す者や、地面にへたり込む者が至るところにいることに気づいた。
 それも女性ばかりではなく、何故か男性も混じっている。

 「なんで……!!?」

 とにかく、あのボケガエル達の仕業よねっっ!!!

 胸に込み上げる、泣きたくなるようなもやもやを振り払い、彼女は凄まじい勢いで走り出した。



 「ゲーロゲロゲロ。作戦大成功でありますな!!」

 地下基地中央司令室。

 メインモニターを見上げ、ケロロは今にも後ろに引っくり返りそうなほどに胸を反り返し、高笑い を上げた。

 「くーっくっくっくっ。既に武蔵市の9割方は制覇だぜぇ。凄いねぇオイ」

 その傍らで、いかにも楽しそうに陰気な笑い声を上げる黄色い参謀。

 「ほう。何が凄いんだ?」
 「それはもちろん、あの赤ダルマが臆面も無く夏美殿に吐きまくる、聞いているこっちの方が バカバカしくなりそうな、甘ったるーーーーい台詞の数々でありますよ!クルルに造らせた『地 球人洗脳電波発生装置』で強化した上で流したら、効果覿面であります!!既に武蔵市住人 の9割方が腑抜けになっているでありますよ。ゲロゲロリ」
 「…ほう。で、そんなものを何処から手に入れた?」
 「それはもちろん盗撮で…ってゲローーーッッ!!??」

 ようやく、誰に対して喋っているか気づき、そろり、と後ろを振り返ったケロロの目の前に、既に 瞳を灰色に染め上げ、憤怒のあまり常よりも体色の赤がさらに深まったギロロが、バズーカを抱 えて佇んでいた。

 「で?誰の何をどうしたって?」
 「…い、いやぁギロロ君、これもポコペン侵略の……」
 「悪ふざけも大概にしろこのボンクラがーーーっっ!!!」
 「キィヤァーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!!」

 中央司令室に、ケロロの断末魔の悲鳴が響き渡った。


 「ギロロ…!!」

 0距離バズーカ攻撃でケロロを吹っ飛ばし、クルルにもきっちり制裁を加え、『地球人洗脳電波 発生装置』なる機械を、完膚無きまでに粉砕し。

 原型を留めないほどに破壊され、静まり返った中央司令室の真ん中で、盛大に溜息をついて いたギロロの耳に、愛しい少女の声が響く。

 「夏美…!?」

 振り返ったその先に佇む彼女は、ゆらゆらと涙を湛えた瞳のまま、きっ、とこちらを睨み据えて いた。

 「どういうこと、あれ!?」
 「あれは…!」

 ケロロ達が勝手にやったことだ

 そう言おうとしたギロロを遮り、激昂した夏美は言いつのった。

 「アンタ、あたしをからかってたのね!あんなこと言って、あんなことして、あたしを動揺させて おいて、地球を侵略しようったって、そうはいかないんだから!!」
 「違う!夏美!!」
 「何が違うのよ!?
  …そうよね。アンタ達、侵略者なんだもんね。気を許したあたしがバカだったのよ……」

 強く、ギロロを睨みつける夏美の瞳から、ひと筋の涙が零れ落ちる。

 「ギロロなんか、…アンタなんか、大っ嫌い!!!!」
 「夏美っっ!!」

 くるりと背を向けて走り出した夏美を追って、ギロロもまた走り出す。


 再び沈黙の落ちた中央司令室に、しばらくしてがたっ、という微かな音が響き、瓦礫の中か ら、アフロ化したケロロがぷは、と顔を出した。

 「死ぬかと思ったであります…」
 「隊長殿」

 その頭上から、静かな声がかかる。

 「…ど、ドロロ?」
 「あれほど、人の心を弄ぶようなことをしてはならぬでござると、それも二度も言って聞かせた にもかかわらず、このていたらく……」

 ドロロの青い瞳が、すっと細められている。
 こういう時の彼は本気であり、ケロロ得意の口八丁も通用しないことは、誰よりケロロが一番 身に沁みて判っていることだった。

 「ど、ドロロくーーん……」
 「夏美殿に成り代わり、拙者が成敗するでござる!!」
 「キィヤァーーーーッッ!!!」

 どうやら、今日のケロロは何処にも逃げ場は無いようだった。



 「夏美っっ!!」

 部屋に逃げ込み、ドアを閉めようとしたその寸前に、ドアの隙間から転がり込む。

 勢いのまま夏美に飛び掛り、そのまま二人揃って床の上に転がった。

 「夏美!誤解だ!!」
 「…何がよ!?」
 「頼むから、俺の話を聞いてくれ…」

 図らずも夏美を組み敷くような形になったままの状態で、ギロロは夏美の頬に手をかけ、自分 へと向かせると、いまだ涙を溜めたままの瞳を見据えた。

 「あれは、ケロロとクルルが勝手にやったことだ。
  あいつらが、俺とお前の会話を盗み聞きして、それを侵略に使おうとしていたらしい。…俺 も、さっき知ったばかりだ」
 「うそ…」

 自分の上に乗りかかる彼を睨みつける。

 「アンタだって、侵略者じゃないの」
 「お前を傷つけるような作戦に、俺が乗る筈が無い」
 「うそ…!どうせ、ギロロ、あたしをからかってるだけなんでしょ!?あたしが子供だからって ……!あたしじゃなくたっていいんじゃないっっ!!」
 「そんな筈があるかっっ!!」

 静かに、夏美の誤解を解こうと諭していたギロロの声が、不意に荒げられる。

 その瞳が灰色に染まる。

 背けようとした夏美の顔を両手で固定し、そのまま、荒々しいほどの激しさで唇を奪う。
 抵抗しようとする夏美を押さえつけ、口接けは深く、激しく、いつ果てるとも無く続けられた。

 ようやく唇が離れ、酸欠で喘ぐように肩で息をする夏美を押さえつけたまま、至近距離から瞳 を射抜く。

 「お前だけだ」
 「……」
 「俺が欲しいのも、俺を狂わせるのも、俺が護りたいのも、すべて。
  夏美だけだ。
  お前以外、何も要らない。
  俺が愛したのは、お前が初めてだ。そして、俺が愛するのは、お前が最後だ」
 「…ほんと、に…?信じて、いいの…?」
 「勿論だ」

 夢見るように閉じられた瞼に、誓いの印のように口接けが落とされた。


 翌日。

 「ギロロ、カップケーキ作ってみたんだけど、どう?お砂糖控えめにしたから大丈夫だと思うけ ど…。美味しい?」
 「ああ、旨いぞ。夏美が作るものは何でも旨いが、これは格別だ」
 「ほんと!?嬉しい!」

 「いつの間にあんなことになってたの、姉ちゃんと伍長?
  伍長が前から姉ちゃんのことを好きだったのは知ってたし、姉ちゃんも嬉しそうだから、僕も 嬉しいけどね」
 「知らないでありますよ。て言うかあの赤ダルマ、何とかしてくれであります!!我輩、マジで 砂吐きそうであります……」
 「ちょっと、ボケガエル!掃除サボんじゃないわよっっ!!」
 「あーはいはい夏美殿!今やってるでありますよ!!」

 「夏美。菓子の礼に、後でイモを焼いてやるぞ」
 「ほんとに!」
 「ああ。その後も、な…」
 「ギロロったら…///」

 約1名の呆れ返った視線と、冬樹の嬉しそうな視線を受けながら。

 すっかりバカップルと化した二人は、今日も幸せそうに過ごしていたのだった。




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