GO MAD BUNNY

ゴールデン・ウイークという、日本人が浮かれ騒ぐ休日が終わり、街はまたいつもの喧騒を
取り戻していた。日向家も例外ではなく、夏美と冬樹も呆けた顔をして登校していった。
庭は再び、ギロロとネコだけの静かな空間となっていた。
ギロロはいつものように武器を手入れしてたが、ふと手を止め、空を見上げた。空は青く晴れ渡り、
雲ひとつなく、涼しい風が吹いていた。
「今日は湿度が低いせいか、ボルトの調子が今ひとつだな…」
そう呟いた後、手入れを終えた武器を転送し、ギロロは地下基地へと降りていった。

定例会議もいつものようにグダグダに終わり、ギロロはため息をつきながら会議室を出ようとした。
「あ、ギロロ伍長」
ギロロの幼馴染である上司、ケロロ軍曹が呼び止めた。
「何だ」
「最近さあ、ギロロくん、弾使いすぎじゃない?この請求書、何?」
ケロロは紙切れをひらひらさせながら、赤い幼馴染に言った。
「戦場で弾をケチってたら、命がいくつあっても足りん」
ギロロが答えると、ケロロは人差し指をギロロの顔の前に立て、左右に振った。
「違うでしょ?今日もそうだったけど、お宅、最近何かっていうとすぐに乱射するでありましょう?
 ギロロのせいで基地の修復費用も余分にかかってるんでありますから、少しは自重してほしいで
 ありますな」
「ほう、貴様のガンプラ代は予算に入れてないというのだな」
ギロロは両手の拳を握り締めながら、ケロロに言った。
「我輩はさあ、基地の福利厚生費をちょおっと節約して、隊長費にまわしてるのでありますよ?
 ガンプラは我輩の心のオアシス。それでナイスな侵略作戦が立てられるんだから安いもんであります」
ギロロはサブマシンガンを転送させ、ケロロの額に突きつけた。
「どのへんがナイスな侵略作戦なのか、今すぐ俺にわかるように説明してくれ」
「ゲ、ゲロォ…」
蒼ざめ、口ごもるケロロに一瞥くれ、ギロロは手元のサブマシンガンを武器庫に戻し、基地を出て行った。



翌日、小隊は地下基地にて、何百回めかの作戦シミュレーションを行っていた。
「ヤフー、やっぱ来るべき梅雨に備えて、ウエットルマンA作戦、イケそうでありますよ!」
ケロロが得意そうに言った。
「楽しそうだね、ケロロくん。どうして僕にだけ集合時間を教えてくれなかったの?」
「ケロロは背後から聞こえる呪いのような声に凍りついた。
「い、いや、そ、そう、たまたまドロロ家にいなかったじゃん?我輩も忙しくてさー、つい…」
「やっぱり忘れてたんだね…」
ドロロにトラウマスイッチが入る寸前、ケロロはドロロの手を引き、ギロロの後ろに座らせて
訓練を再開した。
「ひどいよケロロくん…あの時もそうだったよね…」
ドロロはギロロの後ろで延々と独り言を呟き続けた。ギロロはかける言葉を見つけられず、黙って
訓練に従事しようとするが、ドロロの呟きは止まらない。ギロロはだんだんと、この青い幼馴染に
苛立ちを感じはじめていた。
「おい」
ギロロはたまらず、後ろを向いた。
「トラウマスイッチでも何でもいいからさっさと入れて、静かにしてくれないか。集中できない」
ギロロの言葉に、それまでうつむいていたドロロが顔を上げた。他のメンバーもしん、として
ギロロを見た。目を丸くしてギロロを見ていたドロロは、それから目にいっぱい涙を溜め、基地を
飛び出していった。
「ギロロ先輩、あんな言い方したらドロロ先輩がかわいそうですぅ」
タママが、咎めるように言った。
「悪いが、俺も降りる」
ギロロは立ち上がり、シミュレーションルームを後にした。




5月28日    晴れ

昨日のケロロに続いて、今日はドロロが延々と愚痴をこぼすのに疲れ果てた。
どうして俺の周りにはイラつかせる奴しかいない?
最近眠れない。夏美は俺を避けている。理由を訊いたら、「女が何もできなくなる一週間」
だと言った。クソ食らえだ。いや、仕方のないことだ。だが、今の俺は、どこまで耐えら
れるかわからない。
明日は夏美にイモでも焼いてやろう。




焚火の煙が、今日も五月晴れの青い空に向かって上っていった。ギロロは枝で火の加減を調節
しながら、芋を焼いていた。日向家のリビングでは、タママがポテトチップスをつまみながら、
テレビのお笑い番組を見て笑い声を上げていた。
「あのお、ギロロ伍長?」
庭で洗濯物を干していたケロロが、様子をうかがうようにギロロに言った。ギロロは答えず、黙って
落ち葉を枝でかき回していた。
「洗濯物が煙で燻されそうなんでありますが…。ホラ、こっち風下だし…」
ケロロの声など聞こえなかったかのように、ギロロは焚火を見つめ続けた。ケロロはムッ、として
物干し台から下り、庭の隅のバケツに水を汲み、焚火に向かってかけた。ジュッ、という音がして、
濡れた落ち葉の積もったその奥から、白い煙が上がった。次の瞬間、ケロロはこめかみに当てられた
冷たい感触に気づいた。
「何をする」
その静かな、深い怒りにケロロは心底震えた。いつものギロロなら怒りにまかせて銃を乱射して
きても、自分はヘラヘラと逃げ回っていればいのだが、今日は違っていた。
「だ、だから、洗濯物が煙たくなったら、夏美殿に怒られるのは我輩なんでありますよ?」
夏美殿、のひと言で、ギロロはビームライフルをケロロのこめかみから離した。ケロロはほっと
息をつき、ランドリーバスケットを持って、急いで家の中へ入っていった。




5月29日     晴れ

せっかく夏美にイモを焼いてやろうとしたのに、ケロロの奴に
焚火を消された。洗濯物だと!?地球人の奴隷と成り下がった奴が、隊長の資格があるのか?
どいつもこいつも侵略の事など一ミリも考えてないボンクラ共。俺が片を付ける。

テントの中でつけていたラジオからは、623がハガキを読む声が流れていた。
『続いてのおハガキは、奥東京市のラジオネーム、ナッチーさんからです。いつもありがとう』
二階の夏美の部屋から、キャー、という声が聞こえた。ギロロは日記に書き加えた。

夏美は、俺が助ける。その時がきた。




肌寒さに、ギロロは目覚めた。朝日が顔をのぞかせはじめたようで、外は白々と明けていた。
そろそろとテントから這い出ると、庭の水道で顔を洗った。タオルで顔を拭い、ふと日向家の
リビングに目をやると、閉ざされたサッシ窓のガラスに、自分が映っているのが見えた。
ギロロはじっと、窓に映る自分の姿を見ていたが、やがてニヤリ、と笑って言った。
「お前、俺に言ってんのか?」
少し間を置いて、また同じ事を言った。
「お前、俺に言ってんのか?」
ギロロは楽しそうに笑い、窓ガラスの自分に向かって言った。
「やれよ。俺を殺ってみろよ」
窓ガラスの自分も、挑発的に笑う。ギロロはハンドガンを転送させ、突きつけた。
「間抜けめ。俺の方が速い」
窓ガラスに向かって、ギロロはトリガーを引く真似をした。

階段を上ってくる音で、夏美は目を覚ました。その音は夏美の部屋の前で止まり、ややあって
ドアを開ける音がした。夏美はまた目を閉じて、眠ったふりをした。目を閉じていても、入って
きたのは自分の恋人だと、夏美にはわかった。ギロロは夏美の髪を撫で、「オマエを守るのは、
この俺だ」と言い、夏美の机の上に何かを置いて、部屋を出ていった。
ギロロが部屋を出た後、夏美はベッドから出て、机の上に置かれたものを見た。それは、白い
封筒で、開けると中に手紙と、夏美の写真が入っていた。

“夏美へ 
オマエがこれを読む頃は俺はこの世にいない”

夏美は封筒と手紙を握り締め、部屋を飛び出した。階段を下りたところで、庭のテントに行くか
地下の基地に行くか一瞬、迷ったが、直感で基地に続くドアを開けた。

ギロロはテントに戻り、中の荷物をすべて武器庫に転送した。そして、庭にあったマッチで、
テントに火を放った。乾燥した空気の中、それは紅い炎をあげ、瞬く間に燃え落ちた。それから
ギロロは、完全武装して地下へと下りていった。



「宇宙五月病…ネオ?」夏美が言った。
「そう。アンタが持ってきた封筒に付着してた、センパイの唾液から検出された菌、“トラヴィス”
 がその証拠だ」
ラボでキーボードを叩きながら、クルルが言った。
「五月病って…ウイルス性だったの?」
「ネオ、って言ったろ?おそらく宇宙人街あたりで感染したに違いねえ。プルル看護長から
 情報は入ってたんだがな」
「ギロロ…どうしちゃったの?」夏美は心配そうな顔で、クルルに訊いた。
「地球のこの時期の乾燥した空気は、俺たちの身体には良くねえ。そこへウイルスが入り込む。
 普段ならなんてことないが、過度のストレスによる疲労がウイルスを増殖させちまったって訳だ。
 コイツの主な症状は、ストレスをあまり表に出さず、内に溜め込んじまって、ある日急に爆発する。
 自分以外の奴がみんな敵に見えて、攻撃的になる。…そろそろ来る頃だぜえ」

クルルの言葉が合図だったかのごとく、基地の入り口で爆発音がした。クルルはモニターを見た。
白煙の中で完全武装のギロロが、基地内に侵入してきていた。クルルは直ちに通路にレーザーを
張り巡らせたが、それより速くギロロは動き、ひとつの部屋に入り込んだ。
「おや、ギロロ殿。早いでござるな」
早朝、野菜に水をやっているドロロが言った。この部屋はドロロの菜園だった。ギロロは火炎放射器
を菜園に向け、火を放った。
「何をするでござる!」
ドロロはギロロに向かって手裏剣を放った。ギロロはすかさずビームサーベルではらい落とし、
ドロロに切りつけた。ドロロはすんでのところでよけたが、その時見たギロロの目に一瞬身がすくんだ。
「ギロロ殿…」
その瞬間、ドロロは手榴弾の爆風に吹き飛ばされ、壁に身体を叩きつけられた。

基地内に警報が鳴り響いた。タママが右手に棒菓子を持ったまま、ひょっこり顔を出した。
「何事ですう?…ゲッ、ギロロ先輩」
ギロロは顔色ひとつ変えず、ライフルで一瞬にしてタママの持った棒菓子を粉砕した。タママは
怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「ムカー、お菓子を台無しにされたこの恨み、ただじゃすまないですぅ。呪ってやるですぅ」
タママはギロロの足にしがみついた。ギロロがロケットランチャーを繰り出すのと、タママが
タママインパクトを放出するのがほぼ同時に行われ、ふたりは両端にふっ飛んだ。
「ゲロッ、ギロロ伍長、いったいどうしたでありますか!」
ケロロがすかさず体勢を立て直したギロロの前に立ちはだかった。
「ボンクラども、全部終わらせてやる」
ギロロはためらうことなく、ケロロの顔面にビームライフルを撃ち込んだ。ケロロは不自然によろけ、
クルルズ・ラボのドアを開け、仰向けに倒れこんだ。

「ボケガエル!」夏美が叫んだ。
「安心しな。コイツはリモート操作のコピーロボットだ。コイツでオッサンをここに誘いこんだのさ」
クルルは薬品の詰まった、注射器型の弾を装填した銃を構え、ギロロに狙いを定めた。
「ナ・ツ・ミ・マ・モ・ル」
ギロロはケロロのコピーロボットを踏み越え、クルルの前で歩を止めた。その目は瞳孔が広がり、
正気を保っていないのが一目瞭然であった。
「日向夏美、ひとつ訊いておく。この特効薬には副作用がある。アンタにも影響が及ぶかもしれねえが、
それでも構わねえかい?」
クルルの問いに、夏美は間髪入れず答えた。
「いいわよ。構わないわ。やって!」
「その言葉、確かに聞いたぜえ」
ギロロはクルルにライフルをゆっくりと向けた。その時、夏美が叫んだ。
「ギロロ、撃たないで!」
その声に、ギロロははっとし、夏美を見た。クルルはそのチャンスを逃さず、薬弾をギロロの胸に
撃ち込んだ。ギロロはそのまま、後ろに倒れて意識を失った。




甘い香りに、ギロロの意識は覚醒した。目を開けると、枕元に皿に盛られたスターフルーツが
置かれているのが見えた。
「あ、気がついた」
続いて見えたのは、夏美の安心したような、泣き出しそうな顔だった。
「やれやれ、まったく人騒がせな奴でありますな」
ケロロがほっとしたように軽口を叩きはじめた。
「俺は今までいったい、何をしてたんだ…?」
ギロロは夏美の方を向いて言った。
「あんた、病気にかかってたのよ。でももう、大丈夫」
「この調子なら心配なさそうでありますな。それじゃ、ストレスの元は去るとするでありますか、
 クルル曹長」
「あいよ」
ケロロが促し、部屋を出て行こうとしたクルルに、夏美が声をかけた。
「あ、クルル!ちょっと」
夏美はクルルに近づき、そっと耳打ちした。
「アンタの言ってた、特効薬の副作用って何なの?」
クルルは夏美を見やり、ニヤッと笑った。
「この特効薬は宇宙ラビットの精巣から抽出した物質で作られてる。コイツが厄介な生き物で、
 オスはメスを見ると、年中発情して交尾したがる」
「それで?」
「ソイツの特性が、このワクチンを接種した男に一時的に出ちまうのさ」
夏美の顔が、次第に赤みを帯びてきた。
「い…一時的って、どのくらい?」
「Pardon mademoiselle,個人差があるっていうからな。オッサン、テントは燃やしちまったし、
 今夜はアンタの部屋に泊めるしかないだろうなあ。クーックックッ」
夏美は黙りこくってしまった。
「年中……」
「まあさしあたって、今夜は寝かせてもらえないかもしれないぜえ。望むところだろ?」
夏美はクルルの頭を掴み、部屋の外に投げつけた。ドアを閉め、ぜえぜえと荒い息をしている時、
ふいに視線を感じて悪寒がした。ゆっくりと振り向くと、赤い目をしたギロロがベッドから起き上がり、
夏美の方をじっと見ていた。夏美は背筋がゾクゾクと震えるのを感じていた。

「夏美」
ギロロはベッドから静かに言った。
「な、なっ、何?」夏美の声は上ずっていた。
「今日は迷惑をかけた。またオマエに助けられてしまったな」
「いっ、いいのよ、そんなこと。それより、ゆっくり身体を休めなさいよ」
「それなんだが、身体がどうにも休めなくてな。なんというか、こう…夏美?」
「えっ?」
「『女が何もできなくなる一週間』とやらは終わったのか?」
夏美はついに来た、と覚悟した。
「終わったわよ」
夏美がそう言うと、ギロロは夏美をその赤い目で射抜くように見つめ、言った。
「スターフルーツを、食べさせてくれないか」
夏美は枕元に置いたスターフルーツを一切れ、小さなフォークに刺してギロロに差し出した。
ギロロは首を振った。
「オマエの口から食べたい」
夏美は一瞬目を見開いた後、観念したようにスターフルーツをひと口、齧った。そしてベッドの
上のギロロの唇に自分の唇をそっと重ね、舌でギロロの口の中にスターフルーツを押しやった。
つぶれた果肉と果汁が、夏美の顎に伝わっていくのを、ギロロが舐め取った。

「俺はまだ、狂っているのか?」夏美の服を脱がせながら、ギロロが言った。
「そうかもね。……あたしも、狂わせてくれる…?」
いつのまにか、外は薄暗くなっており、雨の前の湿った空気が辺りを包んでいた。
夏美が歓喜の声を上げた時、最初の雨粒がポツリ、とベランダの手すりに落ちて跳ねた。




BGM “HEY!!TRAVIS”“GO MAD BUNNY”by THE MODS




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